「期待した、私がバカだった」/ 期待と裏切り その気持ちの処理の方法
「アイツに期待した、おれがばかだった」
「~してくれると思ったのに、期待外れだった」
「~してくれるはずだったのに、裏切られた」
職場でも、学校でも、家族でも、友達、恋愛においても、
あらゆる人間関係においてこの「期待と裏切り」は存在する。
特に、本当に大切にすべきである人に対して「期待し」「裏切られる」。
僕も、そうだった。
親や当時の彼女、職場や部活の友人など、最も大切にすべき存在の人に対して、
期待をし、その期待通りであったこともあったが、裏切られたことも同じくらいあった。
本当にその失望感が嫌で、何度激情に駆られたことか。
ただ、冷静に、客観的に見つめなおすと、
「裏切られた」「期待外れだった」
と自分が感じるのは、勝手に自分がその感情を生み出しているだけであって、
相手にとってみれば、裏切るつもりなどないし、
「そんな期待されても困る」というということもあったと思う。
そんな中で、ひとつ思った。
「じゃあ、人に期待しなければ良いのか。。」
そもそも、ハナから人に期待をしなければ、
こんな失望感に苛まれることもないし、
他人に期待をすることがそもそも間違っているのではないか、と
なので、一時期は人に期待しない生き方を目指そうと思っていた。
裏切られるのが嫌なのであれば、誰にも期待せず、ひとりで生きていこうと思ってた時期もあった。
ただ、それは僕にはできなかった。
気が付いたら、また人に期待をしている自分がいた。
そこで、僕は「どうしても人に期待をしてしまう自分」を受け入れることにしました。
もしかしたら、同じような人がいるのではないかと思い、
その思いの処理の方法について書きます。
概念的な話が多いのですが、是非一読して頂きたいです。
人に期待してしまう、自分を受け入れる方法。
- 期待値の調整をする。
- 「期待」ではなく「信じる」。
- 信じた自分を承認する。
1.期待値の調整をする。
実際、おおよその場合、コミュニケーションミスであることが多いです。
それは、
「Aさんが、Bさんへ求めているもの」と
「Bさんが、『AさんがBさんへ求めているもの』を認識しているもの」
が不一致であるということです。
例えば、
「僕はこれくらいあなたにしてほしいと思っていた(もしくは、言ったはずだ)」
「いや、私はあなたがそんなにしてほしいと思っていなかった(もしくは、言われていなかった)」
という具合に。
だからこそ、重要なのは、その求めている期待値を調整するということです。
上記の例は、それぞれが求めている、そして求められているものが一致しておらず、期待値が調整できていな状態です。
自分が求めているものの量や質が、本当に相手に伝わっているのか
また、
相手が求めているものの量や質を、自分は本当に理解しているのか
と考えることが重要です。
一番避けるべきのは、
「この人だったら、自分のこと分かってくれるはず」
「この人が求めているのは、せいぜいこれくらいだろう」
という、「分かったつもり」という甘えです。
また、同じ単語、言葉を使っていても、その言葉の認識が違う場合もあります。状況や環境でも異なります。
たかだか小さなコミュニケーションミスで、大切な人との関係に歪みが生じないよう、僕も日ごろから心がけています。
期待値の調整に関して、言及している良書がございますので、もしよければどうぞ。
2.「期待」ではなく「信じる」。
コミュニケーションで解決できることは、解決しましょう。
ただ、それが自分の思うようになる場合と、ならない場合があります。
他人は、自分自身の管理下にありません、コミュニケーションにいくら繊細になっていても、思い通りにならないことなど多々あります。
その時の心のスタンスは、「期待せず、信じる」ということが大切だと思っています。
これは、家入一真さんのツイートです。
勝手に期待され、そして勝手に絶望される側も辛いよね笑。親子にしろ会社組織にしろ友人関係にしろ恋愛にしろ、「期待」という名の呪縛をかけてしまいがち。期待という名のもとに見返りを求めるのではなく、ただ一方的に信じる、その結果は全て信じる側が背負う、ということのみ真実だと思っています。
— 家入一真 (@hbkr) 2018年8月21日
このツイートをみたとき、まさにこれだと思いました。
僕も自身の経験から、
「裏切られた」と言っている人のパターンは、だいたい2つあると思います。
1つ目は、「強い見返りを求めている人」です。
「こんなに期待してたのに、裏切られた」という人は、
相手に期待しすぎるがゆえに、強い見返りを求める。
そして、結果的にその見返りが自分の思い通りでなかった場合に、
「裏切られた」と被害者面をし、毒を吐いたり、周囲に理解を求める。
そのような人は、
「被害者面」をすると「加害者」を生み出してしまうことを理解していません。
2つ目は、「自分の理想を相手に押し付ける人」です。
「影響力の人であれば、捨て猫を飼うべきだ!」
「タトゥーは入れるのは間違っている!」
こういう、
他人の行動に対して、
「正しい、間違っている」
「こうあるべきだ」
と、批判をする人は、大体自分の理想を他人へ押し付けています。
僕は、自分の理想は自分自身が生きるべきだと思っています。
そして、自分の大切な人や応援している人が仮にイメージと違う行動をしたとしても、
「期待」ではなく「信じる」という見返りを求めなスタンスであれば、どんな結果であろうとも、あらゆる現象を受け入れることができると思います。
僕はこれが、健全な人間関係であると考えています。
3.信じた自分を承認する。
「期待せず、信じる」
と言ったものの、
ただ、本当に自分の理想と大きくかけ離れてしまう場合もあります。
「この仕事、こんなに努力したのに」
「あの人に、こんなに尽くしたのに」
僕も経験がありますが、そういう場合は、
心にぽっかり穴が開いたような気持ちになります。
「こんな傷ついているのは、僕だけではないのか」
「誰も僕の気持ちなんて、分かるわけがない」
こんな傷心した気持ちが続く中で、
僕は、そんな時にはこのように解釈しました。
「いや、ここまでやり抜いた自分自身を承認しよう」
「むしろ、ここまで頑張っている人は他にはいないはず」
「貴重な体験だと解釈し、前に進もう」
傷ついたからとは言って、
いつまでも、傷心している場合ではありません。
仮に、暴飲暴食へ走ったり、周囲の人に聞いてもらったりしても、
自分の人生を切り拓いていくのは、自分しかいません。
この名著にもあるように、
他人や環境に責任を擦り付けても、
物事は前に一切進みません。
人を信じようとした自分自身を承認して、受容して、
前に進むことを選びましょう。
その、前に進む選択をしたあなたが、
きっと次の素晴らしい未来を選んでいくということを信じましょう。
一番、信じるべき相手は、自分自身です。
最後に、
僕の大好きなアーティストの曲の歌詞を引用します。
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明日の希望を持った者だけに 絶望があるんだ
何かを信じた者だけに 裏切りはあるんだ
勇者にだけ与えられた 名誉の負傷とでも言うのか
それにしてはずいぶんと 割に合わないな
手にしたいものがない者に 眠れぬ夜はないんだ
守りたいものがない者に この怖れなどないんだ
握りしめることもなければ 奪われることもないんだ
失くしたって気付かぬ者からは 何も奪えやしないんだ
~中略~
僕はね 知ってるんだ これらすべて
喜びの対価だと 万歳のおたまじゃくしだと
~中略~
僕が僕を諦めたら もう痛みなどないんだ
それだけでこれら全てが たまらなく愛しいんだ
億万笑者/RADWIMPS
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